ノスタルジックマーケティングって、結局のところ企業の敗北宣言なんだろうか?
ちなみにマーケティングとは
「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動」の全てを表す概念である。
ということなので、「顧客が真に求める商品やサービス」を「効果的に得られるようにする活動」ということは、既存の商品やサービスは顧客に求められていないうえに、顧客は効果的に得ることが出来なかった、ということですかね?
残念ながらイノベーション起こせませんでした、なので過去の販売手法や商品を再度利用し、まずは当時の人たちをターゲットにします、これは若者の◯◯離れが原因なのです、と。
でも今の30〜40代は当時のノスタルジーに浸ってる余裕ないと思うよ。
でもAppleはこの10年以上、常に新しい分野を切り開いてるんだよな。
技術自体、目新しいものではなかったけどジョブスは「ほうら、お前らこんなの欲しかっただろ?俺作ってやったからありがたく使えよ。あ、お布施忘れんな。」って琴線をついてきた。
カラフルでお洒落で可愛い初代iMac、これはパソコンと言う概念をぶち破った。
何全曲もの音楽をポケットに入れて持ち運べるiPod、そのiPodに電話や高機能なカメラがついて、ユビキタスなネットワーク環境を実現したiPhone、iPad、iCloud。
いつでも好きなときに音楽や映画を手に入れることができるiTunes Store。
誰でも最先端の講義を受講できるiTunes U、出版ならiBooks。
ただのプロダクト以上にその洗練された見たこともないデザインはその魅力を十二分に発揮し、あっという間に世界中が虜になって、もはやそれなしの生活は考えられないぐらいになった。
まぁ、信者なのでAppleしかでてこないけど、残念ながら今のAppleに昔ほどの魅力は感じなかったりする。
少し前までのAppleやかつてのSony、その他の日本メーカーにあったのは、それがあることによって、どれだけ生活が豊かになるか、どうかわっていくのか、ライフスタイルの提案であって、憧れを具現化する、ということだったのかな。
僕が小学生の頃(80年代)にあった高揚感というのはそういう憧れに近づいていける感覚というのが半端じゃなかったんだろうなぁ。
うちの祖父は新しいもの好きだったので、まだみんながカメラで撮影してる中、ビデオカメラを購入して、運動会とか家族旅行を撮影してたしな。
大きな憧れを自分たちの力で一つづつ手に入れていた。
値段も安くなかったので、そう簡単に手に入らなかったし、そのぶん手に入れた時の興奮はすごかった。
それが生活の豊かさにつながったかどうかはわからないけど、夢を現実にすることへ一歩近づいた感覚はあった。
僕の場合はパソコンやファミコンを通して音楽を作り、CGを作ったり、複数のビデオデッキを使って映像を編集したり。
子供ながらこれが現実にできるんだなぁ、という興奮は、今の自分を形成しているものだ。
それが結局一人で何でもやってしまう、という悪癖に繋がるんだけど。。。
当時憧れたプラレス3四郎の柔王丸はかなり現実的なものになってるし。
今はデフレが進んで、どんなものでも安く購入できて、小さな所で満足できてしまう、お金はないけど既にある意味豊かになってしまった、良く言えば「足るを知ってしまった」国の中では新しい魅力的なライフスタイルの提案というものは難しいもんだろうか、とWBSをみて思いました。